岩永氏の演奏は、冒頭スカルラッティから力強い弾弦とリズムの躍動に溢れ、このソナタ集が単なるチェンバロ練習曲ではなく、パガニーニのカプリスにも匹敵する大胆で個性的な音楽であることを教えてくれる。
バッハの2番は、チェロ組曲の中では渋く地味な存在とされるが、プレリュードが開始されるや、雄大な表現にその認識は覆る。ことに、息もつかせぬプレストのテンポで弾かれたクーラントから、その強烈なテンションのままに、アタッカでサラバンドの深遠な瞑想へと没入していくあたり、岩永氏と他のギタリストの音楽性の巨きさの違いにはあらためて唖然とさせられるのだ。
普通は、ニ長調の和音でほのぼのと開始される椿姫幻想曲も、岩永氏の改編版では、オペラの原曲どおり死の床にあるヴィオレッタの姿を伝える悲痛な和音で幕を開ける。他にも加筆が施された岩永版は、名旋律を小ぎれいに繋ぎあわせたギター曲というこの曲のイメージとは次元を異にした、実際のオペラの舞台を彷彿させる、まさに華麗なる編曲演奏なのである。
グラナドスはギター独奏ではほとんど演奏されない3曲であることに加え、この作曲家の作風の根底にある、夢見るようなロマンが香る小曲を中間に配したところに、岩永氏の選曲センスが光る。一方で3曲目、東洋の行進曲は、イスラムの大伽藍を仰ぎ見るような驚きをもたらし、叩きつけるように鳴らされる不協和音の強打には、畏怖の念すら覚えるほどである。
武満は、歌のアレンジ2曲の間に純音楽作品を挟むことで、世界的知名度に比し、音楽自体が一般に親しまれているとは言い難いこの作曲家の本質を、分りやすく紹介しようという狙い。調性音楽の日常から、武満独自の音響空間へと旅し、ふたたびもとの世界へ帰ってくるといった、貴重な体験を聴衆にもたらした。
目下のところ、岩永氏にしか弾けないギター編コダーイのチェロソナタ。今回は全楽章ではなく、ピアノのためのごく短い、しかし静謐さが凝縮されたレントを序奏のように置き、続いて第3楽章のみが演奏された。余人には成し得ない凄演であることは言うまでもなく、超絶技巧のオンパレードと、迸る劇性に興奮度は最高潮に達した。特筆すべきは、これを編曲作品ではなく、オリジナル作品のように聴かせてしまう岩永氏の驚異的なテクニックと音楽性である。その感動は、作曲者がこの演奏を聴いたら、間違いなくギターソナタの作曲に取り掛ったろう、そう確信させずにはいられないほどのものであった。
アンコールは、グリーグのソルヴェイグの歌、ベルナンブーコの鐘の響き(原曲にない派手なパッセージ入り)、アメイジンググレイスの3曲。
11月28日、東京渋谷区のHakujyuホールにて、岩永善信氏のリサイタルを聴く。
文・芦田喬介