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インタビュー

1.ギターの魅力は?
楽器にはそれぞれの魅力というものがあります。が、一人で複数のメロディーとハーモニーを楽しめる楽器となると意外と少なくて、ピアノとギターくらいです。弦楽器の多くが弓などで単旋律を弾くのに対して、ギターは指先で直接弦を爪弾くことから微妙なタッチがストレートに音色に反映する。これが表現に無限の可能性を与える。と同時に、弾く人の個性が強く出るのです。
これがギターの一番の魅力と言えるのではないでしょうか?
2.ギターを始めたのはいつ?
9歳です。近所の人のギターを触らせてもらったのが最初のキッカケでした。絵も習字も続かなかった中で、ギターだけは続きました。嫌だと思うと誰が何と言おうとすぐやめちゃったり、人から強制されるとやめちゃう性格なので、ギターはやっぱりすごく好きだったんだと思います。ギターを習うことにだけは積極的でした。
3.ギタリストになろうと思ったのはいつ?
高校生の頃。それでヨーロッパ行きを決心したのです。
で、まずロンドンの音楽学校に入って、1年で先生と喧嘩してやめちゃいました。なんで言うことをきかなくちゃいけないのかを、ちゃんと納得するように言ってくれないで、ただ強制する先生だったから、嫌なことには絶対に妥協できない僕には我慢ならなかったから。
その後、パリに行き、エコールノルマル音楽院に入学しました。
卒業してナディア・ブーランジェという90歳の世界的音楽教育家と出会いました。この先生にだけはもう少し習いたかった・・・・彼女は僕のかけがえのない恩師の一人です。
4.恩師ナディアから得た一番大きなものは?
テクニックではないものが大きい。僕がやるべきこと、それが初めてわかった気がしました。
読書で言えば、それまではひらがなや漢字を教えてもらっていただけ。だけど、作家の言いたいことって行間や文章の裏側にあったりするでしょ?演奏家が演奏するということは、作曲家の考えていることをそうやって楽譜から読み取って、その上でその考えを自分の音にしていかなくてはいけない・・・・そういうことを知ったのです。
5.1990年から7年間の演奏活動中断はなぜ?
トラブルもあったりして、体調を崩して演奏できなくなった。弾けないならここにいてもしょうがないと思ってスイスから帰って来ました。
帰国してからの2年間は「元気になろう」という方が先でしたね。少し元気になって、また弾きたいと思い始めて・・・・でも上手くいかない。
それからしばらくはずっとそんな状態。コンサートの仕事は受けるものの、自分の演奏に納得できずキャンセルしてしまったりとか・・・・
思うようにいかないからまた嫌になってという繰り返しでした。
6.再開へのキッカケは?
バックハウスというピアニストの演奏をTVで観たことが、大きいように思います。
ものすごく自然に弾いている。弾き方に悩んでいるのが馬鹿らしくなるような、全体の空気。自然な指の動き。それを観ていたら、考え過ぎていたような気がして、僕も自分が感じたことだけをやればいいのかなと。それで、ひょっとしたらやれるんじゃないかと思ってコンサートをやってみることにしたのです。
ものすごく緊張したし、そんなにいい演奏ではなかったかもしれないけれど、自分の思うようなものになるのを待っていたらいつまでも弾けないかもしれない。だったら弾きながらよくなっていけばいい、いっぱい恥をかき、良くなっていけばいいって。そういう風に切り替えられました。
そんな感じで、僕は演奏活動を再開しました。
7.挫折で得たものは?
昔の僕なら、完全な状態でなければ演奏しないというのがありました。しかし、もともと完全じゃない人間にとって、「完全」ということに果たしてそれ程の意味があるのかと考えるようになりました。
自分の音楽をしっかり出すことが大事で、そうやって伝わるものがあると思えるようになったのです。すると、楽譜の見え方も全然違ってきました。曲のもう少し奥まで見えてきたように思います。
1度壊れた自分をもう1度ゼロから見直すことになって、その結果解き放たれたし、やりたいことはやっていいんだという感覚を得たという気がします。
8.「解き放たれる」とは?
具体的に言うと、例えばバロックの時代、当時の演奏習慣に基づき、あれをしたらいけない、これをするのがいいといった制約がいろいろあったわけですが、そういうことを無視しない状態でも、縛られずに自由に弾けるようになったという感覚。
また、「ウマイ、ヘタ」なんてモノサシに縛られず、新鮮で面白いと感じることが大事だと思えるようになった。ずっと新鮮に感じ続けられるなら、それはすごい能力があるわけで、その結果必ずどこかが上手くなっているはずです。
だから、上手くなるために続けるなんて本末転倒ではないかと。
面白くもないのに何百回も練習することが目的になってしまったら、音楽、芸術的なことからは離れていく気がします。
9.音楽を教えるということは?
スイスの音楽学校で教えたりもしたし、今もコンサート活動の合間をぬってギターのレッスンをしていますが、僕は基本的に先生と生徒という上下関係が苦手。
教えるということに関しては、上達するかどうかは僕の責任じゃない、くらいに思っています。こちらがきっかけを与えたり手助けしたりした時、相手がそれを受けとるだけの能力、感性があるかどうか。重要なのは、その人の個性とか感性を抑えないで引き出すことだと思います。
何百年も前に書かれた曲を弾く時、その作曲家たちが何を考えていたのかという理解は必要でしょう。しかし、弾き手が表現する時には更にそこからたくさんのアプローチの仕方を探っていく。それは弾き手に自由にゆだねられていい。
先生と生徒とは同じ感性ではないのだから、日本の「先生の言う通りに弾かなくてはいけない」という傾向は極力止めにしたいですね。本人が楽しんで弾くことが一番なのですから。
10.演奏者としてコンサートの愉しみは?
コンサートに来てくれる方たちは何か形として残る物を持って帰れるわけではない。生き生き生きるための何か、つまり元気を貰いに来て下さるのではないか、と思うのです。その元気の足しになったとしたら、僕のコンサートは十分意義を達成できたと思っています。
以前はコンサートは真剣勝負みたいに捉えていて、自分の評価を賭けている部分がありました。足を引っ張ろうとする連中はねじ伏せてやろうとか・・・・。
しかし、奄美大島の学校でボランティアのコンサートをやった時、すごく柔軟な感性を持って全身全霊で聴いてくれる子供たちの素直な耳の澄まし方に、僕はコンサートの原点を思い出した気がしました。(※その時の子供の一人がコンサートの感想を綴った作文が郵政大臣賞を受賞。■「トピックス」ページ■に掲載しましたので、ぜひともお読みください。)
音楽って本来勝ち負けではないはず。以前はコンクールで1位にならないと傷ついている自分がいましたが、音楽、芸術って楽しんで生きることの一つにほかならないなのではないかと気づいたのです。
11.CDを出す予定は?
僕は録音が苦手。録音だと、あるパートだけ録り直して、後で編集して1曲に繋げるなんて当たり前。今は技術が発達して、たったひとつの音を持ってきて入れたりすることさえ出来ます。そういったハイテクノロジーの恩恵によってほころびを修復されて、「完璧」に作り上げられていく音楽を僕は好きにはなれないのです。
生のステージの、音楽全体の流れの中でしか生まれないものを僕は大切にしたい。そして、コンサート会場の空間に広がっていく音楽、そこの空気まるごとで奏でる音楽、そういうものを大切にしたいと思います。
ただCDを出さないと広がりが遅いのはわかるから、将来的に絶対やらないとは断言は出来ないですが、今のところはあまりやりたくないなあと・・・
12.録音と生のコンサートの違いはどこに?
録音では、細かい部分に気持ちがいってしまって、ヘンに丁寧になりますね。
生のステージでは、練習している時とも違って、直接オーディエンスに対することによって生まれる何かが必ずある。その場やその時に伝えたいものが生まれる。それは録音で狙っても絶対に出ないものです。それが音楽には大事だと僕は感じます。
13.海外コンサートでの国による反応の違いは?
国によってかなりの違いがあります。
例えば、日本人から見るとヨーロッパはどこも同じように思われがちですが、同じ曲を弾いても地域によって反応は全く違います。ラテン系の南欧は感情が表に出て、とにかく心から楽しんでいるのが伝わって来やすい。イギリス、ドイツはクラシックの本家のような国柄から静かにじっくり聴くという感じですが、善し悪しの反応ははっきりしています。
しかし日本と比べて、どの国も音楽活動には協力的で理解がありますね。残念ながら、芸術を志す人間にとっては、日本はかなり住みづらい国ではないかという気がします。
14.国ごとに演奏曲目も変える?
基本的に、曲目についてはそういうことをあまり考えないことにしています。
馴染みのある曲が演奏されると嬉しい人がいるのはわかります。しかし、馴染みのない曲なら、それはその人にとって新しい世界への扉が開かれることにもなり得るのだから、悪くはないと思います。
相手が退屈しようと「僕が弾きたい、だから弾く」という曲がある。でも全部だとキツイと思えば、両方にとってよさそうなのをミックスさせたり。ただ、自分が弾きたくない曲はいずれにせよ弾かない。(笑)
15.ヨーロッパの演奏活動でトラブルは?
ヨーロッパでは何事も契約が基本。演奏活動でもその都度細かい契約が交わされますから、注意深くさえあればトラブルはかなりの部分で避けられます。
稀な失敗例としては、ベルリンでのフェスティバル契約で「コンサートの前後1ヶ月はベルリンから半径30キロメートル以内ではいかなるプレイもしない。」という項目があり、ベルリンの友人のパーティーで請われるままに1曲だけ演奏したことが契約違反となってギャラを減額されたことがありました。
「プライベートのことまで?」とは思いましたが、契約に関しては細かい内容まで十分に把握しておく必要がありますね。
16.十弦ギターとはどんな楽器?
15.6世紀にヨーロッパで大流行したリュートがギターの原型。現在の6弦8字形のギターは、19世紀にスペインのアントニオ・トレスによって完成しました。10弦ギターは、構造的にはこの6弦ギターと同じですが、低音領域が広がることで独特の共鳴音が生まれ、複雑な音がするのです。このことから、リュート曲など原曲により近い表現が出来る、ピアノ曲など編曲の可能性が広がるという利点があります。
17.10弦ギターとの出会いはいつ?
1980年に、知り合いのギタリストが持っていたのを触らせてもらって、よかったのでスペインまで行って買いました。
1年後に「ロマニロス」という有名な製作家の楽器を得て、気に入ってそれ1本を長い間ずっと使っていました。
18.「ロマニロス」の持つ魅力は?
楽器って反応するんです。 こちらが訴えかければ、それに対して応えてくれる。そしてそこからまたこちらが触発される。そういういい関係を作れる、いい楽器でした。あの「ロマニロス」には、いろいろと教えてもらうことが多かったですね。
19思い出に残る演奏家は?
前述のバックハウス以外では、ヴァイオリニストのシャンドール・ヴェーグですね。
27歳頃に聴きに行ったヴェーグのコンサートは、僕の演奏家としての大きな転機となりました。
その頃の僕は、ギターの魅力、例えば、一人で複数のメロディーとハーモニーを楽しめるとか、指先で直接弦を弾くので微妙なタッチがストレートに音色に反映して表現に無限の可能性が得られることなど多くの魅力を感じてはいたのですが、ピアノに比べて音量や響きが足りないとか、ヴァイオリンやチェロに比べると音が伸びないとかいった不満も少し感じていました。しかし、このヴェーグの無伴奏ヴァイオリン(バッハ)を聴いてそんな自分が恥ずかしくなりました。当時70歳前だったと思われるヴェーグが奏でるヴァイオリンから溢れ出た音は、奔流となって聴衆の心をどこまでも巻き込んで行くのです。「ヴァイオリン1本でこんなに人を惹きつけることが出来るなら、ギター1本でだって出来るはず。いい演奏が出来ないとしたら、それは楽器のせいではない。自分に責任があるのだ・・・・」。全てをギターという楽器のせいにしていたそれまでの僕の甘えは一瞬にしてどこかに吹っ飛んでしまいました。 楽器は手段のひとつでしかないのです。それを越えたところで音楽が出来れば、その人から溢れ出る何かによって聴く人を感動させることが出来る。楽器という狭い枠に捉われてあがいていた小さな自分に気づき、楽器を越えたところにあるものを目指そう、そこに行こうとすることが、それからの僕の音楽家としての目標になったのです。
20.「楽器を越えたところにあるもの」とは?
楽器はあくまでも音楽を伝えるための手段だと思います。その手段を使って何をどう伝えるかが重要だと感じるのです。それを上手く表現することが出来れば、伝わるものがあれば、楽器は水面下に沈ませることが出来ると思います。
21.現在、演奏に意欲を感じている曲は?
今僕が取り組んでいるのはバッハの無伴奏チェロ組曲第6番です。バッハのチェロ組曲の長調の中で一番好きな曲です。他の5つの組曲より多彩で、スケールが大きく、壮麗な趣をもつ曲です。
22.ベートーヴェンはお気に入り作曲家?
誰が一番とか言うと自分の感覚とは違ってしまう気がしますが、感性に合う合わないという意味で、一番好きな作曲家はと聞かれれば、僕はベートーヴェンと答えます。古典派の様式を残す前期、形式的にも内容的にも新しい試みを打ち出し、情熱的で激しい曲の多い中期、ある意味「天上の音楽」とも言えるところにまで達した後期など、その全ての曲にベートーヴェンのすばらしさを感じて惹かれます。
23.ベートーヴェンの曲の演奏は?
僕が編曲可能な曲かどうかを見る場合、先ずギターを使ったときにギターに合うかどうか、ギター曲として編曲しても原曲のエッセンスを落とさないというのが最低のラインとしてあります。が、ベートーヴェンの曲に関しては、それがなかなか難しい。ピアノという楽器の可能性を最大限に生かして書かれた曲も多いし、音域も広く、ひとつの音符を足したり引いたりするのも非常に難しいと感じる曲が多いです。
24.ベートーヴェン以外に影響を受けた作曲家は?
僕が大きな影響を受けた作曲家と言えばバッハです。バロック時代を代表する作曲家ですが、僕は、このバッハの作品には殆どすべての音楽的要素があると思っています。演奏者から見た「技術」も含めて、対位法的なもの、和声法的なもの、アーティキュレーション、数学的な要素さえ感じるその構築力は凄いものです。どの時代のクラシック曲の演奏にも必要な基本的要素がすべて含まれているような気がします。
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