この日のリサイタル、開場ほどなくして早くも客席はほぼ満杯となり、会場係員が聴衆に空席を詰めて座るよう促す中での開演となった。
冒頭ヘンデルのオペラアリア2曲は岩永にしては穏やかな歌いくち。過度に強調することない低音の響きは、しかし適度な膨らみを湛えて心地よく、メロディーラインの流れは自然で美しい。ギターの限界を超えたスケールの音楽と、激越ともいえる表現力は、岩永善信の他のギタリストにはない大きな魅力だが、加えて今回のリサイタルではこのようにギターらしいデリケートな美しさを含んだ局面も多く示され、その両方を携えたところに演奏家としての一層の充実と円熟をうかがわせた。
バッハの〈チェロ組曲第1番〉はヘンデルに比べ一歩踏み込んだ表現で、本来やや小振りな〈前奏曲〉は、ここではむしろ〈同第6番〉のそれを思わせる壮大な空間の広がりを見せる。〈アルマンド〉では流麗というより、細やかな音形の丁寧な紡ぎを聴かせ、一転〈クーラント〉は力強いアクセントの波があたかもトッカータのような鮮やかさ。落ち着いた表現の〈サラバンド〉が宗教的な威厳を立ちのぼらせ、〈メヌエット〉の可憐な表情がやや雰囲気を和ませた後、アタッカで突入した〈ジーグ〉の爆裂的とさえいえるアクセントと躍動!岩永ならではの迫力で組曲の最後を締めくくった。終わってみれば、通常どちらかというと地味な印象の〈第1番〉とは違う、“華麗な第1番”になっていたように思う。
第一部後半のグラナドスは、他のギタリストがほとんど取り上げない3つのピアノ曲を小組曲のように一纏まりとし、古くからギターのレパートリーとして定着している〈ゴヤの美女〉(ピアノ伴奏歌曲の編曲)を独立した1曲という具合に、2つに分けて演奏された。
〈みなしご〉は物悲しい旋律を、ギターの各弦が持つ音色の特性を生かし、低音弦では男声、高音弦では女声といったふうに弾き分けて聴かせるのが素晴らしい。2曲めの〈エピローグ〉はギター的なアルペジョにのせた(ピアノでは表せない)ビブラートを加味した旋律が、夢見るような世界を作り出す。これは組曲〈ロマンティックな情景〉終曲の最後の部分だけを弾いたもので、いわば曲の一部分を切り取って演奏したわけだが、それを感じさせない独立した一片(編)の〈前奏曲〉(ここでは2曲めだから間奏曲だが)のように“座りよく”かつ美しく響いていた。〈スペイン舞曲第3番〉はまったく対照的にギターが軋むほどの激しい弾弦の連続。ギターの音色の繊細さだけを愛する人が聴いたら卒倒するような凄演である。しかしこの舞曲の持つ野性味と陽気な狂騒といった本来の姿、そして原曲ピアノの打鍵の力強さは“ここまでやらないと”伝わってこないのではないか?!と感得させられる。〈ゴヤの美女〉も同様で、今日オリジナルのように体よくまとまってギターソロ曲化している曲だが、岩永の原曲を意識した演奏は、それとはスケールの大きさが違う。ピアノソロの長い前奏と、後半の女声によって歌われる詩の部分の性格をはっきり描き分け、しかも後半をここまで声楽的に大きく歌いあげたギター演奏というのはちょっと聴いたことがない。
第二部は20世紀を代表する音楽教育家N.ブーランジェ女史を通じて、岩永のいわば“偉大な兄弟子”となるピアソラから開始された。グラナドス後半の激しさとは打って変わり〈ブエノスアイレス午前零時〉では、鼓動か深夜の靴音のように刻々と刻まれる低音のオスティナート、その合間にグリッサンドをともなって現れる断片的な音形や旋律に、夜の漆黒と静寂から立ちのぼる不気味な幻想が漂う。終始スタッカートで奏されるオスティナートと旋律の明確な分離など、響きのコントロールという面ではこの日最も完成度が高かった。タンゴのリズムが躍動する〈ブエノスアイレスの春〉では、再び激しい強奏となるが、原曲(ピアソラ自身のバンドネオン演奏)がエレキギターやピアノを含んだ五重奏であることを考えると、多くのギタリストの小奇麗に整った独奏に比べて、(前半グラナドスのスペイン舞曲同様)“このくらいやって”ちょうど良いのではと思わせる。さらに感動的だったのは、前後と対比する形で中間に置かれた緩やかな歌の部分。前出〈ゴヤの美女〉の演奏が、外へ向かってエネルギーを放つ歌いあげとすれば、こちらは内面に深く染み入るように語られる歌。切々とした哀愁と寂寥は“酒場の恨み節”といったレベルではなく、もっと崇高な精神性を伝える ”魂の歌”として響いていた。当夜の白眉と言ってもよいのではないかと思う。
続いて第二部の中間に置かれた〈タイスの瞑想曲〉は、ロマン派オペラからの名曲アレンジだが、華美な歌いくちが抑えられ、ほどよい味わいの濃さが、オーケストラの響きを思わせる10弦ギター低音の豊かな余韻とともに、コンサート全体の間奏曲のように美しく響いていた。
そしてプログラム最後は、20世紀の作曲家マックス・レーガーの、おそらく日本初演であろうギター編曲による〈無伴奏チェロ組曲第1番〉である(組曲というよりむしろ3楽章からなる〈ソナタ〉)。最後のドイツロマン派として存在感を持つものの、一般には馴染みの薄い作曲家のどちらかというと地味な作品ということで、プログラム最後の曲としてはやや渋すぎるのではないかという懸念は、演奏が始まるや払拭された。チェロの原曲より面白い(聴きやすい)のである。バッハの前奏曲を意識しているであろう、生き生きした16分音符の流れが連なる第1楽章は、チェロの重々しさに比べ、ギターの明るく軽い音色と滑らかな流動感が爽やかで、何度か現れるバッハ〈チェロ組曲第3番〉前奏曲の冒頭に類似した下降音階も、上品なパロディのように響く。第2楽章は穏やかに開始されるものの、次第に重苦しさと調性の不安定さを募らせ、独白(モノローグ)のような“嘆きの歌”となっていく。相当に難渋な音楽だが、岩永のギター演奏(編曲)はもっとスッキリした、誰の耳にも受け入れやすく、自然な感動を伝えるものになっていた。第3楽章はフーガで、単純なテーマはギターではむしろ民謡調の親しみやすさに聴こえ、チェロ(擦弦楽器)が重音や多声を扱うときの不自由さがなく軽快。曲を追うごとに深まる楽想もギターの音域ごとの音色の違いが活かされ立体的である。最後はフーガらしい落ち着きと威厳をもって堂々と完結した。岩永の着眼点・編曲センスの見事さと、通常ギターでは演奏されないさまざまな作品を手掛けてきたことによる高い音楽性が充分に発揮された、ギターのオリジナルのようにも響くこの新しいレパートリー。ぜひ再演を重ね、存在を広く伝えて欲しいものである。
アンコールは3曲。最初は、グラナドス〈詩的ワルツ集〉の中の最もリリックな第6ワルツ。原曲はピアノだが、岩永の抑制されたセンチメンタルな歌わせ方により、クライスラーのヴァイオリン小品のすすり泣きのように聴こえてくるのが面白い。2曲め、よく知られたバッハ〈ミュゼット〉(アンナマグダレーナの音楽帖)が快速で疾駆した後、最後は意外にもナポリ民謡(作曲E.デクルティス)〈帰れソレントへ〉であった。とくに凝った編曲ではなくメロディーをストレートに歌っただけなのだが、右手の強靭なタッチと左手の激しく震わせるビブラート、歌の間合いと呼吸の深さは“ギター版3大テノール”というばかりの熱唱(熱唱などと言う表現が使えるギタリストが他にいるだろうか)。プログラム最後のマックス・レーガーが格調高かっただけに、そのハジけたコントラストが聴衆を大いに喜ばせつつ、以上でリサイタルは閉幕となった。
冒頭にも書いたように、今回のリサイタルは力演の迫力と、ギターらしいデリケートな美しさや優しさとの対比がたいへん効果的であり、演奏家・岩永善信の円熟に、大いに感服させられるものであった。そのことを再度強調して長文の最後としたい。
(追記)
かつてギターのコンサートは“ギター関係者・ギター愛好家しか聴きに来ない”と当のギタリストから自嘲気味に語られることが多かった。その状況は現在もかわっていないが、今では誰もそんな問題意識すら持たない。この日、岩永のリサイタルは満席の盛況となったが、そこにはギタリストの姿を殆んど見なかった。その意味でこれは喜ばしいことであるが、反面問題でもある。近年、年少者ギタリストの演奏の完成度は素晴らしく、それは単に技術的な側面だけでなく“まっとうな”音楽表現の部分にも及んでいる。しかし岩永善信のような演奏をするギタリストはまだ現れていない。真の音楽芸術は“まっとうな”だけでは駄目だと思う。多様な着眼点からの独創的なレパートリー、ときには破壊的な爆発をもともなった表現力、何より“ギターの世界”にとどまらない西洋クラシック音楽全域にわたる偉大さを知ることによって培われる音楽性。ギタリストはもっと岩永善信を聴くべきであり、良い意味で岩永善信を“まねる”若手ギタリストが表れて欲しいと願うものである。
槇原 修 (音楽評論家)
■アンケート
●始めて岩永さんのギターを聴きました。
指が魔法のように自由自在、繊細です。感動しました。
●編曲も素晴らしかった!
ギター一本であんな音が出るなんてびっくりしました!!
●技術も素晴らしいですが、生き様のようなものが伝わってきて
心が震えた。グラナドスの演奏ではギターが生きているかのように感じた。
また、聴きにきたい!!
●いつもピアノコンサートを聴きに行ってますが、ギターソロのコンサートは始めて。素晴らしい演奏でした。
ブエノスアイレスの春をギターで聴けるのに驚きました。
●マックス・レーガーの演奏。芸術、表現の幅広ささすがです。
●岩永さんの演奏は他にはないものだから、ゴヤの美女は毎年やってほしい。
ピアソラとマスネもとても素晴らしくブラボー!!
●日常の生活の中で、こんな演奏が聴けたならステキだな。心が潤う。
●泣くがままにさせて、はギターの音色が美しく心に響いた。
●ゴヤの美女、迫力ある演奏だった。すべて感情のこもった演奏で素晴らしかった。もっと長い時間のリサイタルを期待する。
●M.レーガーの曲ははじめて聴いた曲、美しかった(とくにアダージョ)
スタンダードな曲(タレガ、ソル等)を岩永さんの演奏で聴いてみたい。
他多数
■新聞・雑誌記事
「現代ギター3月号」に掲載されました。