2022.7.3(日)
岩永善信ギターリサイタルin新潟18th
7月3 日(日)、17:30より、新潟市内にある新潟市民芸術文化会館スタジオAにおいて、「岩永善信ギターリサイタルin新潟18th」を開催、成功裏に終了した。
曲目は次の通り—全曲岩永善信編—泣くがままにさせて、オン・ブラ・マイフ(G.F.ヘンデル)/チェロ組曲第1番BWV1007(J.S.バッハ)/みなしご子、エピローグ、スペイン舞曲第3番、ゴヤの美女(E.グラナドス)~休憩~ブエノスアイレス午前零時、ブエノスアイレスの春(A.ピアソラ)/タイスの瞑想曲(J.マスネ)/組曲第1番op.131c全楽章(M.レーガー)/
アンコールは、「ミュゼット」(J.S.バッハ)、タンゴ・アン・スカイ(R.ローランド)、「帰れソレントへ」(E.クルティス)、の3曲。
※終演後15分の《アフタートーク》タイムあり。
<コロナ禍>により演奏活動の休止を余儀なくされていた岩永善信氏が、ついに2年間の「沈黙」をほどいて、この新潟公演より活動を再開。
全曲を岩永氏自身による編曲で揃え、なおかつ本邦初演曲も含む、という極めて意欲的で重厚なプログラムを持って来県。
ヘンデルの「泣くがままにさせて」、「オン・ブラ・マイフ」を壮大に朗々と歌い上げるところからスタートしたこの日のコンサートは、最初から最後まで熱く凄まじい集中力と強烈な迫力を貫き通し、ただただ圧倒的だった。
凄みのある太い切れ味で迫ってくる“巨大”な「ゴヤの美女」。ギターの限界を超えるほど息の長いフレーズで歌い、<リート>として成立させている「タイスの瞑想曲」。バッハの「チェロ組曲1番」全曲を、一寸の論評を入れる隙も与えない手堅さで表現したかと思えば、すでに追随を許さないピアソラは、ますます絶対的な確信に満ち、実にソリッドな角度から切り込んでくる。本邦初演となる、レーガーの「組曲第1番」に至っては、見ている方向を明確に指し示し、究極の超絶技巧を要する編曲であるはずなのに、それを感じさせないほどに鬼気迫る勢いを持って弾き進め、<不可能を可能に変えていく驚異の様>を目の当たりにすることとなった———編曲も演奏も一切の妥協を自分に許さない、という姿勢を貫き、一曲一曲すべての曲に熱い血が流れ圧巻。
終演後には、珍しい試みとして、《アフタートーク》を行った。(未だコロナ禍にあって、ファンと触れ合う時間を作れないということもあり、今回だけということで主催者より提案、快諾していただき実現)
渾身の演奏の直後でお疲れだったと思うが、終えたばかりの自分の演奏に対してのコメント、音楽への想い、などについて、どこまでも丁寧に正直に語ってくれた。今回会場に居合わせた聴衆は、“生の声”を通しても、岩永氏の演奏家としての姿勢、ステージに立つ時の想い、その人柄、に触れることができ、演奏とは別の感動を持って帰ることができたのではないかと思う。
活動休止後の再スタートの最初の場所としてこの新潟を選び、何もかもをさらけ出すかのように本気の姿勢でステージに立ってくれた岩永善信氏には心より感謝する。
上手に弾ける人が上手に弾く、そういう演奏はいくらでもある。きれいに弾く演奏家、はたくさんいる。しかし、そこで止まらずその遥か先のもっと上の世界を表現する演奏家は、そう多くはいない。
すでに高みに到達している立ち位置にいながら、 なおも熱く何かを追いかけ、求め、挑み、音楽と真正面から対峙している演奏家はごくごく少数であり、岩永氏がその中のひとりであることに間違いはないだろう。
その音楽と姿を広く届け続けるためにも、2003年から開催してきた新潟コンサートは、今後も可能な限り継続していけたらと願う。そして、いつしかファンにとっても、ゲスト演奏者である岩永氏自身にとっても、大事な場所のひとつとして存在することになっていくならばこれほどありがたいことはない。
とにかく今回の岩永善信氏の演奏は凄かった。
予想と想像を遥かに超えたところから音楽が鳴り響き、強い信念を持って、時には意識的に、「これが岩永善信の世界だ!」というところを見せつけてくれたコンサートだった。
(「岩永善信新潟公演」主催者 広瀬恵子)