この日の岩永善信さんのリサイタルは、ここしばらく岩永さんのギターを聴いていなかった私にとって、最近ではもっとも楽しみにしていたコンサートでした。 久しぶりに岩永さんの演奏を聴けるからというのはもちろんですが、最近の岩永さんの演奏スタイルが“以前とはやや変化し、従来の劇的で華麗なだけではなく、落ち着いた円熟の深みを感じさせるようになっている“という声を多々耳にしていたからです。
結果として、岩永さんの桁外れにスケールの大きな音楽設計や超絶技巧、そしてオペラ歌手のような歌い上げはそのままに、さらにそこに加えられた“変化と円熟”をじゅうぶん確認し、堪能できたのは大きな喜びでした。
ですからこの日は、私にとって近年聴いた中ではもっとも感動的なギターコンサートとなりました。
以下、岩永さんの演奏の素晴らしさのすべてを、到底伝え得るものではありませんが、その感動を思い起こすままに記してみることとします。
“変化と円熟”はなるほど、1曲めサンス〈スペイン組曲〉の出だしを聴いただけで直ちに納得できました。
ごく短い小品にも張り詰める岩永さんならではの強いテンションはここではやわらげられ、素朴で美しい音楽の連なりが、なんの衒いも虚飾もなく淡々と紡がれていくのです。
そこには聴衆に、過度な緊張や集中を強いるような音の響きはまったくなく、かといって歴史の表舞台から消えてしまった楽器(バロックギター)の古びて色あせた音楽というのではない。
当時これらの音楽が持っていたであろう本来の生き生きした躍動や流麗な旋律美が心地よく再現されていきます。
最後の活発な〈カナリオス〉にはさすがにモダン楽器(現代のギター)ならではの派手な響きも聴かれましたが、ラスゲアード(かき鳴らしの奏法)も必要最小限にとどめられ、古楽の雅な品格を失うことがありません。
とても聴きやすい演奏でした。
次にバッハの〈リュート組曲第1番〉が演奏されたのですが、冒頭〈プレリュード〉の下降パッセージが弾き起こされるや否や、それまでのサンスとは音楽の雰囲気、そしてそれが響く会場の雰囲気までもが、一瞬でガラッと変わったのには本当に驚かされました。
南スペインの明るい陽光とドイツ音楽の冷徹な厳俊さ~サンスとバッハの音楽の違いと言ってしまえばそれまでですが、いや、やはりそれだけではすまないように思う。
これほどの鮮やかな雰囲気の描き分けは、他のギタリストの演奏からは耳にしたことがないからです。
やはり岩永さんの作り出す音の色彩の違い、音の温度の違い、といったものが深く関係しているのだろうと思わざるを得ません。
2曲めの〈アルマンド〉は遅めのテンポで滑らかに弾かれていましたが、続く〈クーラント〉の歯切れの良さとの対比は実に効果的でした。
私はずっとこの〈クーラント〉を難渋な音楽だと決めつけていたのですが、〈アルマンド〉との対比という岩永さんの巧みな設計によって、はじめてスッキリした音楽として聴くことができたのです。
緩やかな〈サラバンド〉のあとの〈ブーレ〉はかなり速いテンポで弾かれましたが、この単純な曲からこれだけ“バッハらしさ”が描き出せるものなのか、という驚きをはじめて経験しました。
これも単に速いからということではなく、上手く言えませんが、やはり岩永さんがこれまで培ってこられた音楽への確かな造詣が生み出すものなのでしょう。速く弾くだけなら誰にでもできるのですから。
〈ジーグ〉は落ち着いたテンポで余裕をもって演奏され、バッハの音楽の忠実な再現に徹していたように思いました。
もしこれがプログラム前半の最後に置かれていたら、また違う表現で、聴衆を圧倒するように締めくくられていたのかな、などとも考えながら聴いていました。
でも今回は、このあとのスカルラッティの明るく美しい旋律とほどよい軽みで、聴衆を“圧倒”するのではなく“心地よい気持ち”にさせて締めくくろうという行き方をとられていたように思います。
ここにもまた岩永さんの“変化と円熟”を感じました。
ホ短調のバッハのあと、スカルラッティはいずれも長調の3曲でしたが、ここでは先ほどのサンスからバッハへといった大きな雰囲気の変化ではなく、むしろバッハとスカルラッティ、同年生まれの二人の鍵盤楽器作品をならべて両者を聴き比べてもらおうといった行き方のように感じました。
〈K430〉は点描的な切れ味のリズムの中から浮き上がってくる旋律がいかにも楽しげで、〈K208〉では緩やかなカンタービレにおける10弦ギターの低音弦の魅力(ビロードのような暖かい音色とサスティーンの長さ)が大いに生かされ、〈K178〉は徹頭徹尾躍動するトッカータ風の楽想に、まさに音楽の喜びが溢れていたと言ってよいと思いました。
これらのソナタはスカルラッティが仕えていた王女のレッスン用に書かれたもので、1曲の演奏時間もさほど長くないため、演奏が凡庸だと単なる練習曲に聴こえてしまうところですが、岩永さんのスカルラッティはバッハの大曲と比べてもなんら遜色を感じさせない堂々としたもの。
素晴らしい演奏のうちに前半のプログラムを締めくくりました。
前半のバロック3曲に対し、後半はロマン派のシューベルト、現代のプロコフィエフ、国民楽派のアルベニスと多様です。
しかしいずれもドラマティックで叙情的という意味で、ロマン派寄りの作品でまとめたといえるでしょう。
シューベルトのワルツの最初の3曲(作品9の舞曲集より)は、古くからギター編曲が知られているごく短く可愛らしい小品ですが、とくに佳曲である2番めのワルツの弱音の歌いだし。そのデリケートな優しさは極上の表現と言えるものでした。
そして気分を変え、やや激した短調のワルツ(高雅なワルツ第9番)のあと、誰知らぬ人のない〈セレナーデ〉は通俗名曲の安易な表現とは一線を画す、しっとりした上質のロマンに包まれ大きな感銘に浸らせてくれました。
後半の旋律をエコーのように呼応させる部分(フランツ・リストのピアノ編にもとづく)はギターだとどうしても木に竹を繋いだような感じになってしまうのですが、岩永さんは余裕をもって極めて自然に響かせ、その効果を充分ひきだしていました。
このような、言ってみれば“上品な涙を誘う”ような表現や歌いまわしは、過去の岩永さんからはあまり聴かれなかったようにも思います(私がそう感じていなかっただけかもしれませんが)、その意味ではこれもやはり“変化と円熟”なのでしょう。
ここでの岩永さんは“オペラ歌手”から“ドイツリートの名歌手”へと姿を変えていたのです。
続いて20世紀へ飛び、プロコフィエフの〈ヴァイオリンソナタ〉ですが、これは大勢の奏者が合奏ではなく同じ楽譜を一斉に演奏することを目的に書かれたという珍品(それがプロコフィエフの純粋な音楽的動機なのか、社会主義体制の要求に応じたものなのか考えさせられるところですが)だそうで、現代曲にも関わらず難解なところのない、どちらかというと明るいユーモアをはらんだ作品でした。 原曲はチェロでなくヴァイオリンではありますが、これも岩永さんが独自のレパートリーとして開拓を続けている“現代無伴奏チェロ作品からのギター編曲“の一環をなすものでしょう。
曲は異なるキャラクターをもった楽想が登場人物のようにいくつか現れ、声高に主張したり、ウットリ口ずさんだり、気ぜわしく駆けまわったりするのですが、岩永さんはそれぞれの性格を巧みに描き分けていて、たいへんに面白く聴けました。
歌うというより“話す”“語る”といった要素をもった曲という点で、ギターの機能にもよくあっているように思いました。
ちょっとテデスコ(ことにゴヤのカプリス)を想起させるようなところもあったのが興味深かったです。
さて最後に演奏されたアルベニスの2作品は、この日のプログラムの中で、とくに私が期待していたものです。アルベニスのピアノ曲のギター編曲はかなりの数に上りますが、フラメンコのパッションを反映した〈セビーリャ〉は、まさに岩永さんの華麗で情熱的な演奏スタイルに見事にマッチした曲であり、実際レパートリーとして長く弾かれているにもかかわらず、私は岩永さんの演奏をまだ聴いたことがなかったから。
もう1曲の〈サンブラ〉は派手な演奏効果に富んだ作品(ただしセビーリャのスペインの眩くきらめく光に対し、こちらはアラブのほの暗い情念の炎といった曲趣)にもかかわらず演奏機会が非常に少なく、ぜひこの曲を岩永さんの演奏で聴いてみたいと願っていたからです。
それだけに遅めのテンポであまり派手さを強調せず、どちらかというとむしろ抑制された感じで弾かれた〈サンブラ〉はちょっと意外だったのですが、聴き進むうちに東洋的な装飾音で丁寧に織り上げられたエキゾチックな幻想美にすっかり魅了され“この曲の持ち味は必ずしも派手さというわけではなかった”と思い知らされた次第です。
中間部の終わりにカデンツァのように弾かれる即興的な音の連なりも、極上の歌いまわしと言えるものでした。
そして一抹の抑制から解き放たれた〈セビーリャ〉。これはもう期待したとおりの快演凄演。急速なテンポにのって、力強さと輝かしさが爆発し、祭りの興奮とむせかえるスペイン情緒に溢れ、高らかに歌われる旋律のきめどころに打ち込まれるアクセントがハートに突き刺さります。
そしてさらに感服したのは、中間部のサエタ(セビーリャの祭りで歌われるモノローグのような独唱)をいたずらにテンポを揺らしたりするのではなく、居ずまいを正されるような崇高静謐な宗教音楽のように聴かせてくれたことです。
前後の熱狂的な歌と踊りとの対比は完全に“劇的”でした。というわけで、岩永さんの魅力と実力が十全に発揮された〈最高のセビーリャ〉を、すべて名演だったこの日のプログラムのさらなるハイライトとして心ゆくまで味わい尽くすことができたのです。
アンコールは、アルベニスの興奮の余韻を引き継ぐように弾かれたピアソラ〈ブエノスアイレスの夏〉、シューベルトでのドイツリート歌手から、再びオペラ歌手にもどった岩永さんならではの〈帰れソレントへ〉。これは音の伸びないギターで弾かれているとは思えないどころか、もう指ではじきだされているとは思えないほどの“熱唱”でした。
以上、書きたいことの大部分は書きつくしました。
今度は間を開けてしまわないように私自身、岩永さんの次回のリサイタルを待つとともに、この拙文を呼んでくれた方が岩永さんのステージに接し、ここに書かせてもらった内容を直に確かめてくれることを心から願っています。
■アンケート
2024年11月23日(土祝)ハクジュホール
岩永善信ギターリサイタル アンケート
●シューベルトの4つのワルツ、拍子が身体に快くメロディが美しかった。
サンブラとセヴィーリャはこれぞギターで聴きたかった類の曲で圧倒された。
アンコール曲、躍動的で素晴らしい。
●CD録音をしてないとの事ですが、この音色をもっとたくさんの人に聴いてもらいたいです。
会場に来られない人の為にユーチューブ配信等しているのでしょうか?
●セヴィーリャは古城が目に浮かんできた。アンコール2曲、ギターが歌ってる。
●音色に浸れて幸せでした。なんとも言えない哀愁が、初めてのギター演奏会だったの
ですが、いいなぁと思いました。ステキな時間をありがとうございました。
●初めてのギターリサイタル。全て良かった。感動した。もっと演奏会があったらよいなと思います
。
●一人で演奏しているとは思えないです。
弦が切れてしまったと正直に言う人柄に惹かれまして、最後に一言でもお声が聞けて良かった。
●いつもステキな選曲ですね。これからも色々な曲を編曲して聴かせてほしい。
10弦ギターの響きがとても好きです。セレナーデはただただ感動。二人のギタリストが演奏して
いるように感じる。
●サンブラは低音部のリズムがずっと鳴り響く中メロディー、和音がくりなす演奏が凄かった。
悲しげなせつないメロディもステキ。セヴィーリャも高度な技術でうっとり。有名な曲なので
予想以上に素晴らしい演奏だった。
●素晴らしいテクニックで楽しい気持ちになった。お見事!!
今日は妻と来る予定でしたが仕事で来られず、今度は揃って二人で訪れたいです。
●荘厳かつ繊細なギターで心が清められました。ただただ心地よく生きているよろこびを
感じる事が出来ました。深謝。
●4次元的な厚みを感じます。素晴らしい経験を毎年楽しみにしています。
●ギター一本でここまでコンサート会場をあたたかくするとは思いませんでした。
ほか多数
■新聞・雑誌記事